第2章 9 お金が無くなる。
自由が丘移転後の開店効果が薄れてくると、飲食部門の赤字を賄えなくなってきました。物販では経験したことがない厨房関係のシンクや、コンロ、ドリンクサーバーなどのリース品の費用が予想外の負担となりました。物販の売上でかろうじてカフェの赤字をまかなっている状態でした。
また製造業では想像がつかなかった小売業の難しさに直面していました。
まず広告、販売促進などの各種経費、そして販売員の件です。求人のため広告を出す、応募が少ないと派遣会社にお願いしないと店舗のシフトが回らない。スタッフには着物の知識が必要でもあり、販売スタッフの確保には苦心しました。必然的に金融機関の援助に頼ることになります。
また受注に対して供給できる生産体制に問題がありました。バッグ部門は外注だったので発注をすれば納期の回答はできたのですが、鼻緒サンダルは外注ではまかなえなくなっていました。当時は自社生産を手掛け始めていましたが、月産600足程度でした。
原価計算も甘く、オリジナル商品を作ることに夢中になって、商品原価以外のサンプル製作費や在庫経費を商品価格に見込んでいませんでした。材料や工数と販売価格も見合っていませんでした。
そして、金利、借入金返済。その結果、この時期は常に資金がショート気味でした。入金額に対して支払額の方が多い月が続きました。新店を出す度に銀行から1000万円単位の借入をしました。
「支払いができなくて会社が危ないと思うことは何度もありました。社会保険を支払うために車を売ったこともありましたし、夜中まで仕事をして、帰宅の道すがらコンビニでドリンクを買おうとした時、このパックの牛乳はいくらするんだろう?お金足りるかな?と値札を確認しないといけなくなって… 土砂降りの中、泥水にはいつくばって顔も上げられず、指を動かして少しでも立ち上がろうと…そんな心境でした」と裕宣は当時を回想しています。
第2章 10 カフェブロッソ自由が丘店

さらなるピンチが訪れます。日々金策に走り回る中でしたが、出店依頼は途切れません。赤字部門のカフェ事業にも2号店を出さなさないかというお誘いを受けました。
自由が丘駅南口に移転した際に作ったしまうまカフェは、フランス人シェフ失踪、丸投げした運営会社の無責任な契約満了後に、幸運にも不意にやってきた「いい立地にいい内装なのにもったいない」という応募理由の経験者に運営全般を任せることができていたのです。
そこにきて、草履事業でお世話になっていたセレクトショップからの2号店のオファーでした。
「世界的なライセンサーと組んでライセンスビジネスを始めるのに自由が丘に1号店を立ち上げることになった。その契約先のスペースが必要以上に大きいのでそこでカフェをやってくれないか」ということでした。
南口でカフェを任せることができた店長にそれを伝えるとノリ気にもなりましたし、そのセレクトショップにも恩義があったので受けることにしました。2007年3月、カフェブロッソオープンです。
この時点で、当社は自由が丘にカフェ2店に物販の直営店が6店舗となりました。
とはいえ日々の現金売上があるので何とかしのげてはいましたが、毎月のリース料、金融機関への返済、税金(一部滞納)、支払い遅延等々、資金繰りは一向に苦しいままでした。
さらに、カフェ2号店をオープンさせるきっかけとなったセレクトショップのライセンス事業が中止となりました。ライセンス事業を見込んでに出店したのに梯子を外された形に陥りました。2号店は店長の頑張りで大きな赤字を出さずにいましたが、黒字になることはありませんでした。
第2章 11 東京ミッドタウンへ出店


カフェブロッソの出店計画と前後して三井不動産から連絡がありました。
「これから数年以内に川崎、豊洲、六本木、柏の葉に新しい商業施設を開業しますが、ご興味ありますか?」とのことでした。
川崎、豊洲、柏の葉は地理感がなく、六本木の物件について興味深く話を聞きました。
夜の街・六本木の交差点の近く、防衛省の跡地にホテル、マンション、商業施設、公園を作るという一大プロジェクトでした。2003年開業の六本木ヒルズの近くだとも言います。
当時、六本木ヒルズからは出店依頼がなかったため三井不動産さんのような大手デベロッパーから声がかかることを光栄に思い「その新しい商業施設の1階なら出店しますよ」と即答しました。
その後の打ち合わせで「残念ながら1階はダメです。ハイブランドを集積するフロアになりました」と告げられました。落胆したのと同時に、ああ新しい投資はしなくてもいいと安堵したことも事実です。
ところが施設のコンセプトが「JAPAN VALUE」―日本の価値を世界に向けて発信していく、と決まり、3階がそれを具現化するフロアとして展開することとなりました。サントリー美術館の常設も決まり、3階は日本最先端のデザイナーズブランドを集めたフロアとなりますと説明を受けました。
見せられた3階の平面図ですが、サントリー美術館以外は白紙の平面図でした。「カレンブロッソさんはどこがいいですか?」とJAPAN VALUEブランドの1店舗目として声がかけられたのです。
2007年3月は2件目のカフェを自由が丘にオープンし、その月末には東京ミッドタウン店がオープンしました。
カレンブロッソの商品はものすごく売れました。ミッドタウン店は8坪の大きさながら月間1400万円の売上げを上げ「三井不動産の集客力」に驚愕しました。
一般的には坪50万売れたら上出来というところを、その3倍以上ですから、いかに斬新で多くの人に受け入れられたかがわかるというものです。
資金面では2007年の東京ミッドタウン店出店から風向きが変わりました。苦しい資金繰りから這い出すことができ始めていました。
そして、東京ミッドタウン店の好調の中、一番の人気商品花緒サンダルの顧客ニーズが変化していることに気づきます。


